new makez-inu’s blog

長野県界隈で芝居やら弾き語りやら便利屋やらやってる「まけずいぬ」「池田シン」のブログです。

タイトル未定

先日、人間ギャラリーに行った。毎月一人のゲストを呼び、その生い立ちから現在に至る半生を語ってもらう、といういたって直球勝負な企画だ。今回は友人のMさんがゲストだった。よく知っているつもりの友人でも、その生い立ちとか、そういうことって意外と話さないものだ。彼女の半生を聞いて改めて、自分で我が道を切り開いてきたひとなんだな、と感じた。

会の最後に、観客一人一人の感想、質問等を聞く。中の一人、Tさんは「Mさんの話を聞いて落ち込みました」と言った。

Tさんは自分の話を始めた。貧乏で諍いと暴力に満ちた家庭で育った幼少期。祖母の過度の期待。やること成すことことごとく裏目に出る人生。心を病み、何もできずに自己嫌悪に苛まれる日々。

Mさんの前向きな人生に比べて、自分は何て後ろ向きな、いつでも逃げている人生・・・・

ぼくが感想を言う番が回ってきたけど、ぼくにはTさんの言葉を無視してMさんの話の感想だけを述べることはできなかった。Mさんをほめるようなことを言うと、必然的にTさんを余計に落ち込ませてしまうような気がした。何と言ったらいいのか分らなかった。

人間社会の中にはある一定の割合で障害者が居るのだという。その障害者を削除してしまえば健常者だけが残るのか、というとそういうわけではなく、その健常者の中にまた一定数の障害者が生まれるのだという。何故そうなるかといえば、人類の存続のために障害者が必要だから、なのだそうだ。

人間は個々に勝手に生きているようでいて、実は個々がそれぞれ全体に対する役割を果たしながら生きている。まるで粘菌のように、人類という巨大生物の一つ一つの細胞として。さらに言えば、全生命、全宇宙を構成する一つ一つの細胞、分子原子として、それぞれに与えられた役割を果たしている。

ぼくは旅をしてきた。そのことに関して多くの人達から羨ましがられる。「私にはとてもできない」という言葉をよく耳にする。「言葉が喋れないから」「勇気がないから」「しがらみが多くて」「親父が酒乱で」、、、彼らには旅に出られない多くの理由がある。

もしかしたらぼくは、そんな、旅をしたくてもできない人たちを代表して旅をしてきたのかも知れない。ぼくの「旅に出られない多くの理由」を他の多くの人たち、Tさんに代表される多くの人たちが肩代わりしてくれたから、ぼくは旅をすることができたのかも知れない。障害者達が健常者達の分まで不自由を背負い込んで生きているように。だったらぼくは旅の話をみんなにいっぱい聞かせてあげようと思う。

以前は旅の話をすると、「ヘーすごいねー」とか、「勇気あるねー」とか言われて、何だか自慢話してるみたいで嫌になってあまり旅の話はしたくなかったけど。これからはいっぱい旅の話をしようと思う。ぼくの旅をみんなと共有して行こうと思う。だってみんなのお陰でぼくは旅ができたのだから。

ぼくが歌をうたうことができるのも、他の多くの「歌えない人々」の犠牲の上に成り立っているのかも知れない。「音楽センスが全く無いんです」と言う多くの人達がぼくの歌を支えてくれているのかも知れない。だったらもっともっと歌って行こうと思う。ぼくの歌をみんなと共有して行こうと思う。だってそんなみんなのお陰でぼくは歌えるのだから。

ぼくがやりたくてもできないいろんなことがあり、それをできるひとが居る。ぼくの分まで一生懸命やって欲しい。そしてそれを、自信を持って発表して欲しい。ぼくにも見せて欲しい。聞かせて欲しい。みんな一つはそういう何かがある筈だと思う。みんながその一つのことに気付いて、みんなの分までそれを一生懸命やって、自信を持って発信発表して行ったら。みんなと共有して行ったら、、、、

きっと世の中、すごくよくなる。

そんな気がする。

Tさんには4人の子供が居る。20歳くらいだろうか?息子の一人が一緒に居た。彼はそんな母親を優しく見守っている。泣き顔のTさんの頭を撫でて励ましている。そんな優しい息子をぼくは今までに知らない。Tさんにもきっと、Tさんにしかできない何かがある。