new makez-inu’s blog

長野県界隈で芝居やら弾き語りやら便利屋やらやってる「まけずいぬ」「池田シン」のブログです。

キナバル登山


物置の荷物を整理していたら昔の写真が出てきた。

キナバル山
キナバル登山。二十歳の時だ。

オレはともかく二十歳になる前に日本を脱出したくて、北海道の牧場で一年半住み込みバイトして金を貯め、19歳の秋に日本を出た。バンコックに飛んでタイ-、マレーシア、シンガポールインドネシアスリランカ、インド、ネパールと旅をした。
ボルネオ島マレーシア領にグヌン・キナバル(キナバル山)という東南アジア最高峰があると聞き、登りに行った。当時は4101mと言われていたけど最近は正確な調査で少し標高が下がったみたい。

19歳で日本を出る前、オレは多分、いろんな生き方を模索していたんだろう。エッセイをやたらと読んでいた。池袋の大型書店で全部立ち読みだが。主に旅のエッセイが多かったけど、他にミュージシャンとか登山家の本も読んでいて、特に登山家のエッセイにはすごく惹かれていた。彼らの生死観、オレには登山者は死を超越しているように見えた。1年半の住み込みで貯めた金で二度と日本に帰らない旅に出るつもりだったけど、山登りにもとても憧れた。

旅に出るか、山を登るか?

結局旅に出た。旅先で山に登れば良いだろう、と思った。当時19歳のオレは登山経験ほぼゼロだった。

マレーシアのどこかのホテルで日本人の旅行者に出会った。猿の研究でボルネオ島に行ってきたという彼からグヌン・キナバル(キナバル山)の話を聞いた。東南アジアの最高峰。富士山より高い。ガイドが付くので登山初心者でも登れる。そんな話を聞いていても立っても居られなくなり、オレはすぐにボルネオ島マレーシア領サバ州の州都コタキナバルに飛んだ。

クアラルンプール発コタキナバル行きのナイトフライト。この飛行機に乗客はオレ一人だった。たとえ乗客が一人きりでも、もしくは誰も居なかったとしても、多分帰りのフライトの予約が入っていれば飛ばない訳には行かないのだろう。離陸して機内食が出て食べ終わった頃、機長?が直々にオレのところに挨拶に来た。

機内食のおかわりは要らないかね?」
オレは確かマレー語で
「テレマカシー(ありがとう)」
と答えたのだ。おかわりください、というつもりだった。
機長は「おかわり要らないか?」と何度か聞き返し、おれはその度に「テレマカシー」と答えた。機長は何となく腑に落ちない顔をして帰っていった。おかわりは貰えなかった。
「ありがとう」はYESの意味にはならないのだ、とその時知った。それ以後、欲しい時には「ください」とハッキリ言うようになった。

コタキナバルに着くとオレは観光案内所に行った。そこでキナバル登山の申込みをするのだ。先ず登山基地となるジャングルの中のホステルの予約を取る。そこから更に一日かけて山頂下の山小屋へ行き、登山ガイドと共に山頂を目指す。
オレは英語が嫌いなので極力地元の言葉を覚える。この時も観光案内所のお姉さん相手に片言のマレー語で頑張って話したのだがボルネオ島のマレー語は訛りがあるのかなかなか聞き取れない。何度も聞き返すオレに向かってお姉さんは苛ついた口調で一言一言区切りながらゆっくりと大きな声で説明する。隣の窓口のお姉さんがそのやり取りを見ながらケラケラ笑っていた。

登山基地となるジャングルのホステルまではバスで行った。このホステルからジャングルの中をめぐるトレールがいくつかあり、要所要所にただ泊まれるだけの小さな小屋が建っている。この小屋で待っているとゾウが見れる、とかオランウータンが見れる、とか、そういうところなんだけど、宿泊している旅行者達に聞いても「ゾウの足跡は見た」「猫を見た」くらいでなかなか野生動物たちと接触するのは難しいようだ。

オレがこの小屋に泊まって見たものは夜中のジャングルの中を飛び回る発光体だった。ホタル? いや、その光はあまりにも強い、マグネシウムを燃やしたような白く強烈な光がうようよと飛び回っていた。それが何だったのか未だに知らない。

洞窟に行った。低い天井には6センチくらいのコウモリがびっしりとぶら下がっていた。オレがそっと近付くと耳を盛んに動かし危険を察知して群れの周りの方からハタハタと飛び立って行くのだけど真ん中あたりの奴らは窮屈過ぎてなかなか飛び立つこともできない。オレがパッと手を伸ばすとあっさり一匹捕まってしまった。一生懸命抵抗して指に噛み付いたりするのだけど噛む力は弱くて全然痛くない。しばらく眺めて放してやった。



いよいよキナバル登山の日。その日は朝イチでホステルを出て山頂下の山小屋へ向かう。
始めはホステルで仲良くなったやたら元気な中国人グループと歩いていた。(彼らは日本のアイドルとかもよく知っていた。「山口百恵」と紙に書いて、「これはなんて読むんだ?」と訊く。「ヤマグチモモエ」と答えると彼らはゲラゲラ笑っていた。「ヤマグチ」というのが彼らの言葉で何か卑猥な意味があるらしい、、、)
始めは彼らと歩いてたんだけど彼らのスピードがやたらと速い! 何でこんなに元気なんだ? オレも頑張ったがついて行けずに落伍。二十歳のくせに体力無かったんだなぁ、、グループ最後尾で大きな荷物を背負ってゆっくり歩くポーターの母娘が居た。この二人なら大丈夫だろうとニコニコ笑顔を交わしながら一緒に歩いていたんだけど、結局それすらもついて行けず、、、みんなから遅れること一時間あまり、、午後4時くらいに一人最後にヒーヒー言いながら山小屋に到着した。


翌朝は3時起き。ガイドに従ってまだ暗い山道を登り始める。すぐに森林限界を抜けて岩だけの世界。折しも満月で岩肌が月光に照らされてテラテラと金色に輝いていた。元気だった中国人達は空気が薄いせいかゼイゼイと苦しそうな息使いでヨタヨタ登る。昨日はあんなに元気だったのに? オレはむしろハイになって元気一杯グイグイ登って行った。山頂に到達する頃に遠く海から朝陽が登る。
山頂には鯉のぼりが飾ってあった。この数日前に日本人のお爺さんが登ったとか。キナバル登山最高齢だったとか?
翌日、他のみんなは下山したけどオレは山小屋に一人残って再登山。それがこの写真だ。
そしてこの時、オレは泊まった山小屋のベッドの横の壁にマジックでデカデカと

「池田シン参上!」


と昔の暴走族のマーキングみたいな文字を残したのだ。これが今だに忘れられないのだ。

、、、

ああ、思い出すだけで恥ずかしい、、、

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コタキナバルからの帰り道は船でサラワク州の州都クチンに向かった。小さな貨客船だが乗客はオレ一人だった。時々ニワトリがコケコッコーと鳴いた。海の上でニワトリの鳴き声は何か面白かった。デッキからエメラルド色の海を眺めていた。吸い込まれそうな海だった。

「おーい、日本人、飯だ!」

船員のおっさんが声をかけた。船員達の居る船室に降りていく。中華系の船員達は皆ランニングシャツに短パン姿でカード遊びに興じている。テーブルの上には炊きたてのご飯と魚の干物。

「ほら日本人、食え!」

この干物がやたらしょっぱいんだけど美味い! 腹一杯食べてデッキに戻り、エメラルドグリーンの海を眺めていると、他の船員のおっさんが声をかける。

「おーい、日本人、飯だ!」

あれ? さっき食べたばかりなんだがな、と思いつつも飯が美味いしオレも若かったのでまた船室に降りてごちそうになる。
腹一杯になってデッキに上がり、エメラルドグリーンの海を眺めていると、

「おーい、日本人、飯だ!」


こんな感じで一日何食食べただろう? 二十歳のオレは船員のおっさん達にはまるで子供に見えたのかも知れない。呼べばいくらでも食べる日本人を面白がっていたのかな? 

そしてまた旅は続く、、、